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2011年1月

たそがれとよぶには少し早かった様子

 本日の夕刻、抜歯をしてきました。
 いや、もちろん抜く必要がある歯なので抜いたわけですけど。
 歯医者を出たときには、辺りは暗く……なかったね。だいぶ日がのびてきたなと感じる。
 麻酔が切れてきて、いまじわじわと痛みが広がってきています。

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何年かぶりに

 歯を磨いているときに詰め物がとれてしまったので、歯医者に。
 しばらく来ない間に、デジタル化が進んでたりしてちとびっくり。一番驚いたのは、医師やら助手やらが妙に親切な雰囲気を出していたこと。客におもねってる感じ?
 ただまあ、やることは子どものころから変わってないんだよね。別段、麻酔も歯を削るのも平気なんだけど、歯の型をとるのが大の苦手で。あのゴムみたいなやつを噛んでると、どんんなにがんばっても嘔吐感に見舞われるのですよ。
 今回も案の定。これがあるんで、歯医者って苦手なのですよね。そこはかとなく申し訳ない気分になりますし。
 技術も進歩してるんだから、もっと簡素なものに変わったりはしないものですかね。

 こちらもしばらく通院かしら。近いうちに、親不知を抜く予定です。初体験です。

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最近気になる言葉

 年末にだったと思うのだけれど、何かのニュースで「自作自演の強盗」という言葉を耳にした。
 言わんとしていることは理解できなくないのだけれど、だいたいの強盗は自分で計画を練って自分で実行すると思う。
 ありもしない事件をでっちあげ被害者のふりをするというケースは、「狂言」と呼ばれていたのではなかっただろうか。あるいは「一人芝居」とか。

 それ以上に気になっているのが、「性善説」と「性悪説」という言葉の使われ方である。高校のころに選択授業でちらと齧った程度なので、僕も全然詳しくはないのだけれど、「性善説」に「渡る世間に鬼はなし」的な意味はないし、「性悪説」は「人を見たら泥棒と思え」的な意味で使われるべき言葉ではない(はずだ)。
 性善説っていうのは、人の本質は礼節を知っているもので、それが世俗の垢にまみれることで欲に溺れがちになるけれど、自らを律すれば本質に戻ることができるはずだという考え方で、性悪説っていうのは、人の本質は欲にまみれているので、その欲に流されないように自らを律して己を高めていかなくてはならないという考え方だったと記憶している。
 どっちにしろ、自らを律しなければダメ人間になるんだよということを言ってるわけで、スタート地点が違うだけなのですよ。

 とか偉そうに言っておいてなんだけど、高校時代って遠い昔だし、倫理の授業って苦手だったんで、解釈を間違ってる可能性が大きいです。正しく知りたい人は、孟子や荀子の書物にあたってください。

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新年のご挨拶

 あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくおねがいいたします。

 などと定型通りの挨拶をしてみた1月3日。
 何か初夢を見たような気もするのですが、憶えていません。ただ、目が覚めたら両腕ともに痺れていたので、あまりよくない夢だったのではないかと。

 起きだしたら、ちょうど10区を走っていたので、箱根駅伝の優勝争いとシード権争いだけ見とどけて初詣に出かける。
 下谷の小野照崎神社の小野篁を詣でに。ここ数年は毎年そうしております。

 年末年始ちょっとのんびりしすぎてかなりなまっている感じがあるので、今日あたりからリハビリをがてら趣味の文章なぞを書いていく予定。

 そんな感じの年のはじめ。

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